織田一磨さん
会津八一
新潟の景色が御気に召したやうで何よりです。
新潟に住んで居る人は、別にこれといって景色などの事を申しませぬけれども、
僕のやうに二十年以上も故郷を離れて居るものには、君が新潟へ行かれぬさきから、
君を添景人物にした新潟が、もう目のめへにちらちらみえた程です。
その新潟を君の筆で描いて見せていただく日も近いのでせう。
僕として近来これほど興味ある事は無い。僕の古い句に
ふる里や夢にたどりて夏柳
といふのがある。
此句を新潟の人はさほどにも思って居ぬやうであり、東京の人などに見せても誰も何とも思ひやしない。
それ位に皆が解らないやうです。
かねて僕を知って居てそして今度新潟の景色、ことにあの柳に興味を発見したといふ君に、
あらためて此の句を味ってみて頂きたい。新潟の柳は川村清兵衛が町奉行をして居る頃も、遥に支那の西湖から枝を取寄せて、
今の行形屋で挿木にしたといひつたへて居るが、
西湖の写真をいろいろ査べて見るけれども、どうも調子が違ふやうです。
如何に僕が支那が好きでも、ことに西湖の柳といふいかにもお誂ひ向きの名が持ち出されても、故郷はまた格別です。
西湖は西湖、新潟は新潟であってほしい。これから僕は霞ヶ浦の方へ行くといつも何とはなく新潟臭い所があるやうに感じます。
サハラあたり、あの辺一帯左様です。
空の色、水の色、それが何といふこともなく信濃川の何所かを思ひ出したくなります。
しかし一つひとつ引離して同じものは無い。
土と水との馴染み加減に似寄ったところが有るのぢやないかと思ふこともあります。如何です。新潟で君に遇へるやうに帰省することは六ケ敷なりました。
学校の用事と僕自身の健康との為めに此の夏は纏まった暮し方は出来さうもなくなりました。昨日やうやく雑司が谷の墓地へ出かけて自分の書いた墓の彫刻をみて来ました。
それは神学者の柏井君の墓です。新潟の中学に居る頃柏井君の書かれた耶蘇伝を読んだことを記憶して居ります。
それが昨日のやうに思はれるに係らず、二十三四年前の事になって仕舞ひました。
そして其人の墓石に『エホバ永遠に汝の光となるべし』と書いてやることになりました。五六日前には又、郵便の元祖前島男爵の碑文を書きました。
男爵はまた最も古い漢字廃止論者であったことから、碑文は全部平仮名で口語体でかくことにしました。
これは確かにエポックメイキングだと思ひます。
僕は御承知の通り漢字廃止論者ではありません。
しかし前島男爵も趣味としては一生涯漢字を捨てる人ではなかった。
其点が一方には漢印を好みつつ、一方にはローマ字篆刻論を唱へる僕の心の何処かに共鳴する所があると見えて、
口語体で仮名づくめといふ此不思議な碑文を興味を以て書く気にもなったのでせう。ことによると僕は希臘学会の連中を連れて、一寸奈良へ行くから、歌でも詠んだら御目にかけませう。
曽宮はもうあちらへはこれも徒歩旅行で奈良へ行って若草山で野宿をして蚊に喰はれて困ったといふハガキをよこしました。先日信州山田温泉で詠んだ歌の中で、これはまだ御目にかけなかったやうですね。
青空の昼のうつつに現れて
我に答へよいにしへの神この神はクリスト教ではありません。